【スポンサーリンク】

私の「普通」は、誰かの「普通」ではない

【スポンサーリンク】

私にとっての「普通」は、他の人にとっての「普通」ではない。その「普通」の感覚が似ている人と結婚したらうまくいくのかな。

私は夫と話していると噛み合わない事が多かった。私が「普通」だと思っている事は、彼にとっての「普通」ではない。

例えばの話、出産前後里帰りしており、普段暮らしているアパートに戻る日、両親は私をアパートまで送ってくれた。私にとっての「普通」なら、私や赤ちゃんをアパートで迎えてくれると思った。だが、夫は休みの日だったのに、アパートにいなかった。どんな用事だったのか知らないが、到着時間は伝えていたし、逐一今どの辺りだと伝えていたのに、出迎えてくれなかった。真冬だったので、冷え切ったアパートに私と娘は帰ってきた。

それから、私が入院した際に、保険証がまだできていなかったので、一度全額支払うことになった。高額になったため、私の両親が一時的に立て替えてくれたのだが、夫に事情を話してもお礼の言葉さえなかった。私の「普通」なら、「立て替えてくれてありがとうございます」くらい親に言うと思う。

 

夫にとっての「普通」は、娘がびっくりして、その姿を見て、義家族みんなが笑っていた時に、私が笑わない事は「普通ではない」らしい。みんなが笑う時には笑わないといけないらしい。また、食事の途中に、横になったり、スマホで動画を見始めたりするのも「普通」らしい。食事の最中にダラダラするのは義父もそうだった。義父は食事の途中にソファにもたれかかり、ダラダラし始める。義母がいつも「まだ食べるの?」と聞いていた。食事の終わりが見えない人たちだった。

 

私と夫は、きっと違いすぎる。どちらが良い悪いではなく、違いすぎる。私はこの人といたせいか「普通」がわからなくなったし、簡単に「普通」という言葉を使うのが怖くなった。

私の「普通」は誰かの「普通」ではなく、嫌悪感を与える。その逆もある。

今までは、友人も元カレも、感覚の近い人と付き合えていたから、気づかなかった。だけど、世の中には自分とは感覚が違いすぎる人もいるんだって再認識した。(なぜそんな人と結婚したのか…それも問題だが)

仕事上の付き合いなら、そのような人にも出会ってきたが、仕事上だけの付き合いなので、負担もそこまで感じなかったし、そんなにかけ離れた感覚の持ち主には出会ってこなかった。

 

感覚の違う人と過ごしていると、自分の「普通」に自信が持てなくなってくる。言い返せるくらいの強さがあればいいのだが、あいにく元から自己否定が強かったので「私が間違っている」「私が我慢すればいい」と、自分をどんどん追い込んでいった。

最終的に自分がわからなくなった。

「私がいけないのだけれど、苦しい」

自分を認めたいのに、自分の「普通」は「普通じゃない」から、認めてはいけない。我慢。いや、我慢とは少し違う。「私はおかしいんだよ。相手が正しい。相手に合わせなきゃ」って自分自身に言い聞かせてる感じ。自分の意に反してるから、苦しい。当時は理由なんてわからないから、ただ涙が出る。理由のわからない涙。

限界がきてたのか、子供が泣いてても自分も泣いている。自分は、何が原因で泣いてるのかわからない。でも何が原因でもいい。辛いのは確かだった。

 

どうやって、落ち着いたのかというと、市の相談窓口に連絡して、話を全部聞いてもらって、救い出してもらった。その電話で精神的DV(モラハラ)を受けていると市の相談員さんは言ってくれた。

私の「普通」は、夫の「普通」ではない。だけど、夫の「普通」は世間の「普通」ではないと言ってくれた。(上記の『夫の「普通」の話』以外にも、性的なDVや経済的なDVにあたる行為もされていたため)

性的なDVさえ、私が我慢すればいいやと思っていた事があった。感覚がおかしくなっていた。洗脳と変わらない。

 

私の「普通」は、誰かの「普通」ではない。相手の「普通」に合わせようと歩み寄ることも大切だと思う。だけど自分が苦しいと感じたら、誰かに相談してほしい。そうすれば自分の味方になってくれる人もいる。もし、自分の「普通」が間違ってたら、正してくれる人もいる。どちらにしても、ひとりで悩んではダメ。辛かなる前に、誰かに話を聞いてみてもいいと思う。余計傷つくこともあるかもしれないけど、理解してくれる人も絶対いる。